「田中君、今日は4月28日だ。もう実験はこれくらいにして明日から1週間お休みにしよう。休み明けはちょっと忙しくなるかもしれない。十分英気を養ってきてください。」私は暗澹たる気持ちだったが無理に明るくそういって修士1年の田中君に1週間のゴールデンウィークを休んでもらうことにした。全く迂闊だった。大失敗。大ピンチ。休み明け2週間後にはAMLCDの論文提出の期限が来る。
当時私はシリコン薄膜のパルスレーザ結晶化の研究で成功を収めていた。パルスレーザ結晶化は薄膜トランジスタ作製技術として実用化され始めていた。自分の技術が世に出る。気分は悪くなかった。自分の技術開発能力に自信が出てきていた。次の課題は結晶化に付随して発生する欠陥問題であった。欠陥はトランジスタの電気特性を悪くする。電流を流さなくする。だから欠陥を減らさなければならない。私はパルスレーザ結晶化と同時に欠陥を減らす方法を思いついた。酸素原子で欠陥を無力化するのである。酸素雰囲気中でレーザ結晶化を行えば酸素原子が欠陥を不活性化して良質の結晶薄膜が得られるだろう。修士1年の田中君にこのテーマを持ちかけた。田中君は優秀な学生だった。早速実験してくれて、酸素雰囲気中で結晶化したシリコン薄膜試料を作製してくれた。電流が少し大きく流れる結果が得られた。私は大いに喜んだ。よし、これで行ける。AMLCD国際会議までには最適化して良い条件が得られるだろう。1999年3月に国際会議発表申請をした。
しかし、それ以後欠陥低減を示すデータが得られることはなかった。毎日田中君は浮かない顔をして芳しくないデータを持ってくる。私はその度に条件を変えた実験を提案し励ましたが、だんだん不安になってきた。考えてみれば当たり前だった。パルスレーザでシリコン薄膜が加熱される時間はせいぜい100nsしかない。酸素原子がシリコン薄膜に入り沢山の欠陥を不活性化するには時間が短すぎる。このアイデアは上手くいかない。しかし論文提出の期限は刻々と近づいている。自信過剰、見切り発車は危険なことを悟った。
しかし時間はないが不安に駆られるばかりでは進展がなく確実に失敗する。そこで駄目でもともとと覚悟を決めて、もう一度、酸素欠陥低減の可能性があるかを落ち着いて考えてみることにした。これ以上上手くいかない実験をしても進展はないから実験は中断しよう。丁度ゴールデンウィークだから田中君には実家に帰ってもらおう。そして私は一人で1週間考えてみることにした。方針を立てた。
1.必ず何かよい方法を思いつくと思い込むことにした。そうすれば余計な不安を感じずに済む。
2.もはや時間が無いのだから新しく未知の手法を考案することは無理だ。自分の体験の中に答えがあることにした。
そして大学時代からの記憶をじっくり辿ってヒントを探すことにした。初日、二日目何事も無く順調に時間は過ぎた。三日目も過ぎた。しかし諦める理由はもはや無い。自身の体験を思い出すことに集中した。4日目に一つの体験に思い当たった。私は1987年頃当時働いていた会社で薄膜トランジスタの性能向上に取り組んでいた。ゲート絶縁膜として作成したSiOxの品質を上げるために酸素プラズマ処理を試みていた。SiOxを酸素プラズマで酸化して品質向上を狙った。SiOxの下にはレーザ結晶化したシリコン薄膜が形成されていた。トランジスタの性能は酸素プラズマ処理で少し向上した。移動度が向上し電流が多く流れるようになった。しかしトランジスタの性能向上は劇的なものではなく、無くてはならない技術というほどのものではなかった。そのうち仕事は新しいアイデアに移り、酸素プラズマ酸化はすっかり忘れられた。幸いにも4日目にそのことを思い出した。
よし、レーザ結晶化シリコン薄膜に直接酸素プラズマ処理をしてみよう。常識ではシリコンを酸化するとSiOxが形成されるから電流は流れにくくなる。しかし、もしかしたらシリコン薄膜全体が酸化される前に、レーザ結晶化起因の欠陥が酸化されて不活性化するかもしれない。処理温度と処理時間の勝負で上手く行くかもしれない。何よりレーザ結晶化薄膜への直接酸素プラズマ処理は劇的で面白い。よしこれにしよう。
そして休みの残り時間で実験計画を作り上げた。
「やあ、田中君良いお休みでしたか。今日からこの作戦にしましょう。今までのことは忘れていいですよ。」
田中君は良いデータを取り、立派な発表をしてくれた。田中君は立派な修士論文を成し遂げて卒業した。
神様は痛恨の失敗した私を見捨てず新しい研究に導いて下さった。
田中君は文句一つ言わずに働きそして休んでくれた。
神様、田中君、ありがとう。