先生、じィ書いてくれないかな~。
小学5年生の時の神崎先生の国語の授業は厳しかった。
10歳の子供にとっては苦痛そのものだった。
神崎先生は黒板に板書をしなかった。
そのかわり、話しながらゆっくり細い線を縦に引くだけだった。
1回の授業の中で先生が引かれた線の数は20本に及んだと思う。
しかも、神崎先生は生徒が随時ノートに書き留めることを許さなかった。
書き取りを許してくれたのは授業終わる10分間前だったと思う。
10歳の子供たちは授業中次々に増えていく細い線を一心に見つめながら
先生のご解説を忘れまいと必死だった。
線の上に見えない字を一心に刻んでいた。
とはいえ注意力散漫な普通の子供にとってそれは無理な話。
ただの辛い45分間だった。
汗が出てくる、欠伸が出てくる。
放課後の田んぼでの虫や蛙取りが頭に登場する。
お腹が空いてくる。
昼ごはんが出てくる。夜ご飯も登場する。
書き取りは半分もできなかったと思う。
いったいなぜこんな大変なことを神崎先生はされるのだろう。
さっぱり訳がわからなかった。
しかし疑問を解決するほどオツムは発達していなかった。
そして先生の言うことには理屈抜きで従うのが当時の熊本県天草の風習だった。
先生に指示されたら生徒は従うしかない。
神崎先生の授業がその後の勉強や仕事にとって大いに役に立っていると気が付いたのは
遥か後のことである。
今、私は会議中にめったにメモを取らない。
(何かノートに書くときは大抵内職仕事である。)
メモを取らなくても会議の要点はなんとか掴める。
メモを取ることは絶対に便利で有効であることはいうまでもない。
しかし小さい頭の中に必要最低限の情報を入れ、手ぶらで行動することは悪くない。
道を歩いているとき、電車に乗っているとき、直ぐ課題の内容を思い出して考えを巡らすことができる。
頭の中に生のメモ帳を一つ持っているとまずは安心である。
50年前に神埼先生の授業を受けたことが頭の中に小さなメモ帳を作るきっかけになったことは間違いないと思う。
神崎先生に感謝をしている。
先生、ありがとう。
私にとって神崎先生の国語は未だに世界一受けたくない授業です。
でも辛い体験の巡り合いは大切である。
しかし巡り合ったそのときにはその意義は分からない。
後になって分かるまでちょっとの我慢が必要である。
神崎先生はご退官されて久しいが、熊本においてご健勝とのことである。
今は教室の黒板ではなく何に線を引かれているのだろうか。